まさか私が…発達障害児の親としての日々の暮らしを綴ります

夫はいますが、、、基本母と子、女3人でマイペースに過ごしています。自称平和を愛する長女と登校しぶりまくりの次女とその母の日々の出来事を記録しています。

登校渋り~登校拒否へ③ みんなは何で普通にできるんだろう…

こんにちは。

daisannosakaです。

はじめましての方はこちらからどうぞ。

 

daisannosaka.hatenablog.com

 

次女が登校をしぶりはじめた時のことを

当時思ったことや

今になって思うことも含めて

書いていきます。

 

過去記事はこちらから↓

 

登校渋り~登校拒否へ① 急に登校をしぶり始めたようにみえた日 - まさか私が…の日々の暮らしを綴ります

登校渋り~登校拒否へ② 「大丈夫」と背中をおした結果 - まさか私が…の日々の暮らしを綴ります

 

ピカピカの1年生の1学期の終わりに

登校しぶりが始まった次女。

そして、付き添い登校を始めた私。

 

一緒に登校してから、

教室ではない場所でプリントをやったり、

保健室に行ったり、

靴箱で休憩したり。。。

 

靴箱で、他の子ども達の靴を眺めながら

やっと次女の困難さに向き合い始めた私がいました。

 

お恥ずかしいのですが、

こんなに事態が悪化するまで、

成長すれば何とかなるだろう~と、

私はのんきに構えていました。

 

当時の記録をみると、この時期に

 次女に学校の何が嫌なのかを聞いていました。

 

当時の次女曰く、

①授業中も休み時間もうるさい。

②休み時間に何をしたらいいかわからない。

③みんながあまり知らない人と気軽に話しているのが

すごいと思う。自分にはそれができないから、つらい。

 

幼稚園で仲の良かったお友達はみんな違う小学校なので、

イチからお友達をつくることになった次女。

少しずつ仲良くなったお友達もいたけれど、

お友達同士の交友関係がどんどん広がる中、

みんなと同じようにふるまえない…

 

幼稚園生活では、先生が細やかに個別に対処してくれて

(それでもたくさん問題を起こして、先生は頭を抱えていましたが…)

なんとかやれていたことが、

小学校という集団生活の中ではうまくいかず、

自分だけ何でできないんだろう…と

学校生活が不安で仕方なくなってしまっていたのです。

 

ちなみに…

次女は、幼稚園年中さんの時、先生から

「どう対応していいかわからない。

 こんなタイプの子は初めてだ。

 病院を受診してください」という言葉をきっかけに

発達障害の診断を受けました。

それからは、病院の先生からアドバイスを受けながら

幼稚園生活での環境調整をしていたので、

次女も幼稚園生活をなんとかやれていたのです。

幼稚園で癇癪を起した時は、

お部屋が修羅場と化すのですが、

先生がマリア様のような広い心で次女に接してくださり、

園長先生を含めて、園全体で次女のことを

見守ってくれていたのです。

 

もちろん、公立小学校の普通級では、

そんな細やかな対応は無理で、

ずーっと我慢して努力して

ピーンと張った糸がきれちゃって、

もうボロボロだったんだと思います。

 

登校渋りが始まってからは、

字が思うように上手にかけない、

作品がうまくつくれない、

給食に魚が出た('Д')

 →魚つかんで、投げてました( ゚Д゚)

といったことでも癇癪を起していました。

 

付き添い登校をして、初めて

次女が学校では、大きな混乱の中にいることが、

わかったのでした。

(気が付くの遅いよね、私・・・)