登校渋り~登校拒否へ④ 母が我が子を追い詰めた
こんにちは。
daisannosakaです。
今日も一緒に学校に行ってました。
だんだん、学校も寒くなってきました。
冬の廊下ってホントに冷えるんです。
はじめましての方は、こちらからどうぞ。
登校渋り後のことを振り返っています。
過去記事はこちらから
登校渋り~登校拒否へ① 急に登校をしぶり始めたようにみえた日 - まさか私が…の日々の暮らしを綴ります
登校渋り~登校拒否へ② 「大丈夫」と背中をおした結果 - まさか私が…の日々の暮らしを綴ります
登校渋り~登校拒否へ③ みんなは何で普通にできるんだろう… - まさか私が…の日々の暮らしを綴ります
学校がしんどい次女。
学校に行かなくていい夏休みはとっても元気でした。
私も…
次女の辛そうな姿を見ることもないし、
早起きして学校に行く準備をしなくてもいいし、
運動場で体育を見守りつつ、汗だくになることもないし、
居場所がない居心地の悪さを味わうこともないので、
ホント最高でした。
そんな夢のような日々もいつかは終わりがくるわけで。
当たり前のように、新学期初日がやってきました。
新学期、初日の朝、予想通り
「学校行きたくない」
まだ、なんとかしないと(>_<)と思っていた私は、
「せっかく宿題はしたんだから、宿題だけ出して帰ろう。」と提案。
学校に遅刻する旨の電話連絡をして、準備をさせました。
学校への電話連絡…
だんだん気まずくなってきます。
電話連絡後、一緒に学校に向かいました。
やっぱり教室には入ることができず、
宿題を先生に無言でつきだすように渡しました。
その後、宿題出したし、帰ろう!と靴箱に向かいましたが、
「足が痛くて歩けない」と次女。
帰りたくなかったんです。
自分が頑張って学校にいないといけないと思っていたんだと思います。
歩けないという次女と靴箱でぼーっとしていると
支援の先生が来てくれました。
その後は、その先生に付き添ってもらいながら、
下校まで学校に。
席には座れなかったけど、教室の後ろや廊下で過ごしたとのことでした。
その日は、家に帰ってからが大変でした。
宿題のプリントやノートは
ぐちゃぐちゃに。
計算カードを投げる。
計算カードをちぎる。
「もう一生学校には行かない」と自分で頭をたたき泣く。
そして
「こんな自分は生きていても仕方がない。死にたい。」と(/ω\)
小さな体全体で、癇癪をおこしていました。
学校に普通に行けない自分が悪いんだと思わせてしまった…
ここまで、あの子を追い込んでしまった…と
発達障害があるのはわかっていたのに、
きちんと対応をしてこなかった
自分自身が本当に情けなかったです。