まさか私が…発達障害児の親としての日々の暮らしを綴ります

夫はいますが、、、基本母と子、女3人でマイペースに過ごしています。自称平和を愛する長女と登校しぶりまくりの次女とその母の日々の出来事を記録しています。

登校渋り~登校拒否へ② 「大丈夫」と背中をおした結果

こんにちは。

daisannosakaです。

はじめましての方はこちらからどうぞ。

 

daisannosaka.hatenablog.com

 

次女が小学1年生の時、

登校しぶりがはじまった当時のことを

思い出しながら、書いています。

 

過去記事はこちら

 

daisannosaka.hatenablog.com

 

登校しぶりが始まった次の週明け、


「学校行きたくない。行けない。」と本人。

 

当時の私には、ここで学校を休むという選択肢はなく、


「今日も送っていくから。」といって、

先週と同じように登校を促しました。

 

同じように教室の前まで送り、


浮かない顔の次女に

 

「大丈夫だから」

 

と言って背中をおし、支援の先生が来てくれたタイミングで家にもどりました。

 

 

その日の夕方、先生から電話がかかってきました。

 

朝、私が帰ったあと、次女が大暴れして、

大人1人の力では押さえつけられなかった。

大変だった。

あんなに暴れるのかと思って、正直びっくりした。

 

という内容でした。

 

教室には いられない状態だったので、

支援員さんに付き添ってもらい別室で過ごしたこと、

その後、落ち着いたから、3時間目からは教室で過ごしたこと

など、教えてもらいました。

 

先生がびっくりするぐらいだから、周りの子ども達も驚いただろうし

中にはこわかったと感じた子もいるかもしれません。

 

玄関での「行けない。」というのは、

次女の心からの訴えだったのに、

私は、またもや、その訴えに耳をかたむけず、

理由をきいたり、環境を調整したりすることなく

まぁ、なんとかなるだろうと背中を押し、

幼稚園でも先生がなんとかしてくれたから、

支援員さんがいるから大丈夫だろう、と

不安そうな娘を学校においてきたのです。

 

そして、次の日から、娘に付き添う日々が始まりました。

が、学校生活への不安が大きくなり過ぎていた娘にとって、

教室へ入ることは不安でしかなく

教室に入る時間はどんどん減っていきました。

 

3時間目から教室へ から

4時間目だけ

帰りの会だけ…

という風になっていき、

 

そのまま、夏休みに突入しました。

 

次女は元々まじめな性格で、ましてやピカピカの小学1年生。

そんな娘が「学校行けない。」と言うのは、

本当に限界がきていたのだと思います。